●【勾玉巡り④】明治時代の合祀政策を経た今。
こんにちわ!こんばんわ!
やどりぎ神社。です⛩
当ブログは神社や御朱印の紹介。
神様にまつわる話や古代の話、神社の地域や都市伝説、陰謀論、占いの話などをつらつらと紹介していこうと思います!
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本日の担当は...
本日誕生日を迎えました
『えむまる。』です
よろしくお願いしまーす
さて今回も勾玉巡りの続き・・・
なんともう第四弾です。
↓前回までのブログはこちらから↓
今日は神社のご紹介を中心にどんどんいきますよー
4社目の巡拝はこちら(*'ω'*)
【東昭神社】
〒333-0816 埼玉県川口市差間2-15-45
駐車場あり
御祭神
木花咲耶姫命 このはなさくやひめのみこと
素盞鳴命 すさのおのみこと
倉稲魂命 うかのみたまのみこと
菅原道真公 すがわらのみちざねこう
御神徳
縁結び 安産 子育て 家内安全 商売繁盛
開運 学業成就 病気平癒 必勝祈願
ふふふ
えむまる。推し神様の木花咲耶姫命
明治40年にさまざまな合祀を経て【東昭神社】になりましたが
元々は【浅間神社】だったとのこと。
創建時期は明らかになっていませんが
鎌倉時代〜江戸時代初期にはすでにあったと言われています。
こちらが裏参道
境内に入ると真っ先に目につくので
拝殿より先にまずはこちらをご紹介!
じゃじゃーーん
おおぉぉぉ~!!!!
高さ8m・直径30m
富士山を1/500のスケールで再現した
『見沼富士』
とっても立派な富士塚
もちろん登ることもできます
昔(1872年まで)富士山は修行の邪魔になるからと
女人禁制だったんだって・・・。
(富士山の神様は女性なのに・・・!?)
だから、富士山を信仰する近隣の女性たちは
見沼富士を崇めていたんだそうです
頂上には 浅間大社の石碑
どれほど地域の方たちの心の拠り所になっていたかが分かりますね
富士塚には 富士講 と呼ばれる方達の話も関係してくるんだけど
(富士以外にも 〇〇講 ってよく神社で見かけるよね)
この話はまたいつか(*'ω'*)
お参りをして・・・
御朱印を頂いて
無事4社目の巡拝おわり
御朱印には本物の花びらと茅の輪で使われる葉っぱ(名前忘れた)
ちなみに・・・
写真にチラリと映りこんでいるので気になる方もいるかもですが
こちらの神社
神職さんによる注意書きの看板が
至る所にあります
最初は
『おぉ・・・』
と少し気圧されましたが
神職さんとお話をしたら
ものすごく沢山お話をして頂き
とても丁寧に対応してくれました
1月1日以外は境内にたばこの吸い殻が落ちていることが多いと
嘆かれていました・・・。
元旦だけは捨てないんだけど
2日目から落ちてるんだよ・・・と。
その他にも、マナー違反で目に余ることが多々あるそうです。
その結果が看板になってしまったんですね
初めて見る人は驚いてしまうかもしれませんが
マナーを守って参拝すれば大丈夫です
裏参道入口付近には
『社務所第二』?とありました。
どうやらご子息がされている様子でしたが
御不在でしたので詳細は分からずです
では5社目に行きましょー
【七郷神社】
〒333-0811 埼玉県川口市戸塚3丁目13−6
駐車場有
御祭神
素盞嗚尊 すさのおのみこと
御神徳
五穀豊穣
こちらは今回の勾玉巡りで遭遇率の高い
素戔嗚尊ですね
ただ、御神徳が五穀豊穣なんですね
水害を統治して鉄にまつわる・・・なんて話が由来だったり?
(えむまる。の妄想です)
七郷神社も先ほどの東昭神社と同じく
明治時代に様々な神社との合祀を経て名前が変わっています。
元々は『氷川社』だったそうですが
近隣の6社を合祀したため「七郷神社」に改称したそうです。
神仏分離や一村一社制の合祀政策などの影響で
明治時代以降、色々なものが変わってしまっているんだね・・・
七郷神社の歴史は古文書が焼失したため
はっきりとは分からないけど
隣接地から弥生時代の遺跡が出土しており、
古代より土着の祭祀があった神聖な土地だった事も考えられるとか
弥生時代からの祭祀って
ロマンがありますね
こちらが御由緒
こちらの拝殿には、普段御祈祷で使われる御幣(ごへい)が!
思わず神職さん気分でしゃんしゃんとやらせてもらいましたw
そしてここのベストショットはこちら。
これは・・・
カラスに向けたメッセージなのですよね?w
でもだっち。情報によると
文字で書いてある看板でもカラスを抑制する効果があるとかないとか・・・
カラスかしこい!!!w
御朱印は『予約制』と書いてありました。
行かれる方はご注意ください
無事御朱印を頂き、5社目を終えました
次へ向かいましょー
【九重神社】
〒334-0057 埼玉県川口市安行原2042
駐車場有
(鳥居横の坂がびっくりする位急です・・・!)
素盞鳴尊すさのおのみこと
御神徳
災難除け 安産 家内安全
合祀神
菅原道真公
神様多すぎて
漢文みたいになっちゃったよ!!w
なんでこんなに合祀神が多いのかというと・・・
やはりここでも明治の合祀政策。
元々は氷川神社だったけど
村社が九社合祀し、社号を九重神社に改めたとのこと。
元は、十一面観音像も祀られていたんだけど
明治初年の神仏分離の後、この観音像は現存していないんだそう。
また明治時代・・・
良いことも沢山あったんでしょうけど
神仏の歴史としては、本当に激動の時代だったでしょうね
気を取り直して神社のご紹介!
境内に入ると大きな木・・・
樹齢五百年以上のスダジイの大木だそうです。
拝殿にてご挨拶して・・・
御嶽山がありましたので登ってみました
天気の良い日なら筑波山なども見えるのだとか。
登った所には石碑がありました
御朱印に力を入れてるようで
目移りしてしまうほど沢山御朱印がありました
やどりぎメンバーで色々と頂いたものがこちら
やっと6社目の巡拝を終えたよ
今回の3社は、全て明治時代以降で
神社の名前が変わってしまったり
沢山の神様を合祀した所でした。
他にも、色んな神社を調べているけど
明治時代に様々な大きい変更があった神社が多数
もし、明治時代に
合祀政策や神仏分離がなかったら
今頃はもっともっと沢山の神社が
今よりも沢山あったんだろうなぁ・・・
まぁ今でもコンビニよりも多いとは言われていますが・・・
それでも、もっと身近にもっともっと近い所に
その土地土地を守ってくれる神様が居てくれてたんじゃないかなって
そんなたられば話を考えてしまうえむまる。でした
次回残り3社のご紹介をして
勾玉巡り編を終わりです
話が脱線してしまい、当初の予定よりも
大幅に長編になっちゃったよ
どうか最後までお付き合いくださいませ
それでは
まったねー( *´•ω•`*)/♡*。
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★【将門魔法陣】北斗七星巡りその③
こんにちわ!こんばんわ!
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神様にまつわる話や古代の話、神社の地域や都市伝説、陰謀論、占いの話などをつらつらと紹介していこうと思います!
どーもどーも、寝不足続きの【てんてん】です。
今回は【将門魔法陣】の最終回だよ
本当はもっと色んな事情とか色んな考察があって
書きたこともあったんだけど
終わらなくなっちゃうからねw
ざっくり魔法陣だよ
徳川家康によって作られた【将門魔法陣】
北斗七星のライン状に将門さんのパワーを借りるべく作った訳だけど
そんな事言い出すと
じゃあ江戸城もそのつもりでそこに作ったの?とか
北斗七星以外の将門さん縁の寺社は何なの?とか
色んな矛盾を感じるよね
きっと、昔の人が作った都市伝説なのかな?とか
でも、逆に10年前ぐらいに言われてた都市伝説のほとんどが現実のものになってたり
そー考えると、この魔法陣も本当なのかな?とも思う
ま、それは置いといて魔法陣いこw
鬼王神社
新宿区歌舞伎町に鎮座しているちょっと変わった風味の神社だよ
水稲荷神社を北斗七星ラインから外して、鬼王神社を入れる説もあるよ
御祭神
宇賀能御魂命(うがのみたまのみこと)
鬼王権現(きおうごんげん)
月夜見命(つきよみのみこと)
大物生命(おおものぬしのみこと)
天手力男命(あめのたじからおのみこと)
鬼王っていう名は日本ではここだけなんだって
そしてここには将門さんの名はどこにもない
将門さん幼名が【鬼王丸】ってゆーんだよね
そこから将門さんとの縁があるとしてる訳・・・ほんとかよw
さてさてお次は【烏森神社】
こちらは港区新橋に鎮座する神社
しかも由緒や御祭神にはやっぱり将門さんの名前はない
むしろ将門さんを討った藤原秀郷が神社の創始となってるよ
御祭神
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
天鈿女命(あめのうづめのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
話は戻るけど
水稲荷神社を北斗七星ラインから外して、鬼王神社を入れ
水稲荷神社と烏森神社を結ぶと北斗七星のラインを分断する
これは、徳川家康が将門さんのパワーを利用しつつもその力を抑えるため
なんて言われてるよ
ふーん?イマイチ腑に落ちないよ!!
築土神社は引っ越しちゃったから今はないんだけど
それぞれに将門さんの腕が埋まっているという伝説になってるよ!
新宿区筑土八幡町に鎮座している神社
御祭神
應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
そして、将門さん終焉の地、坂東市には
将門さんの三女である如蔵尼が彫った木像を御神体とする國王神社
将門さんの胴塚がある延命院にも行ってきたよー
御祭神
平将門公(たいらのまさかどこう)
将門さんの三女で逃げ延びた【如蔵尼】が将門さんの33回忌にこちらに戻り
彫ったと言われる木像を御神体としているよ
今は神社本庁から外れているみたいで
由緒には将門さんの名前しかないんだけど、以前は大己貴命なども祀っていたみたいだよ
現在は、國王神社崇敬会の方々が運営されてるみたいだよ
そして将門さんの【胴塚】がある延命寺
以前は國王神社の隣にあったらしいよ
こちらには将門さんの【胴】が埋まってると言われてるよ
以上で長々と付き合ってもらった【将門魔法陣】シリーズを締めるよ
これ以上やると誰も読んでくれないと思ったよ!w
そして最後に坂東市のめちゃくちゃ美味しい蕎麦屋さんを紹介しちゃうよ!!
【岩井更科】
『頑固爺の店』なんて書いてあったけど、めちゃくちゃ優しいお爺ちゃんだったよ!!w
電話:0297-39-2569
この畑の完全地粉のお蕎麦だよ!
とにかくめっちゃ美味しかった
蕎麦が売り切れちゃうと営業時間内でも提供できなくなっちゃうから
出来れば予約して行った方がいいよー
ではではまったねー
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◆【安房國一之宮 安房神社】⑤『忌部氏その②』
こんにちわ!こんばんわ!
やどりぎ神社。です
当ブログは神社や御朱印の紹介。
神様にまつわる話や古代の話、都市伝説、
陰謀論、神社の地域、占いなどの話を
つらつらと紹介していこうと思います!
本日の担当は
掘りだしたらあれもこれも書きたい…
でも神話から大きく外れちゃうから
どうしようかなぁ…の
【だっち。】です。
あれですよ。
ちょっと調べたつもりがあらぬ方向に
進んでいって寝不足になるやつです。
んで気づいたら第5弾ですよヽ(´Д`;)
の続きです。
もう安房神社の話じゃないじゃん!
って思った方はその通りです(笑)
さ、続きです。前回が
【天日鷲命】(アメノヒワシノミコト)
までだったので
【彦狭知命】(ヒコサリシノミコト)
からになります。
岩戸隠れの時にはで2人で天御量(あめのみはかり)を
用いて木を伐採し瑞殿(みずのみあらか)
(美しく立派な御殿)を建てました。
『天岩戸神社』の『東本宮』の地に建てたのでしょうか…
たしかそんな伝承があったような?
を含めて『建築の神様』として上棟式で
お祀りすることが多いようです。
木造の家でも建てなきゃ馴染みはないでしょうけど。
(鉄骨だと上棟という概念がないそうです。)
※和楽備神社 建築三神
(通常は聖徳太子を祀るが当社では
比較的珍しいこの三神である。という一文があります。)
なんで【八意思兼命】が入っているのでしょうかね?
思金→曲尺(かねじゃく)…って連想できます?w
どうしてそうなったかわからないですが
指金とかからでしょうか…
思いを叶えてくれますようにって事なのか
軍師だったり建築士だったりするのでしょうかねぇ。
なんにしても頭の良い神様ってことで。
【天目一箇命】(アメノマヒトツノミコト)に
いきましょう。
日本最初の鍛冶として出てきます。
岩戸隠れの際には太刀、斧
鉄鐸(さなき=佐那伎(さなぎ)←古語)
を作ったとされる。
※鉄鐸とは鈴みたいなもの。5㎝ぐらいらしい。
【天鈿女命】舞った時に鉄鐸のついた
矛を持っていたとの記述がみられるので
それを用意した神様ということです。
どうやら一つ目だったようで
鍛冶職が片目をつぶるからとか
片方失明しているとかって話らしいです。
一つ目で鍛冶の神様…
サイクロプス(キュクロープス)じゃね!?w
いや、ふと思っただけなんですが。
あ…wikiにもそんなようなこと書いてありましたw
一本だたら(妖怪)も片目、片足を鍛冶によって
失ってしまった鍛冶職人?
考え出すと止まらないものですねぇ。
ここからは個人的な物語となります。
というのはかなり共通点が多くみられる気がします。
もちろん同じとは言わないですが
かなり関係があったのではないかなぁ…
とは思ってます。
渡来系民族と言われてますが別に
朝鮮半島を通って来ただけで
と思うんですよねぇ。
日ユ同祖論であって欲しいなぁ~
と思っているので
サイクロプス(キュクロープス)も
ありえるかも!!とかね(笑)
サイクロプス(キュクロープス)は
巨人族なのでそれが5㎝の鉄鐸とか
作ってたら面白くないですか?w
どんな風に考えても多少こじつけ感が
あっても整合性が取れていれば
それでいいわけで学者でもないんだから
好きなように自分たちで物語を
彩っていけるのも楽しいですよねぇー?
またその辺りもいつか書いて行くかも
しれません。
最後は俗にいう都市伝説っぽく
なっちゃいました(苦笑)
本日も最後までお付き合い
ありがとうございました。
あ、今回で終われませんでした(苦笑)
次は本当に最後です!
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●【勾玉巡り③】と【珍しい狛犬】時々【漂着神信仰】
こんにちわ!こんばんわ!
やどりぎ神社。です⛩
当ブログは神社や御朱印の紹介。
神様にまつわる話や古代の話、神社の地域や都市伝説、陰謀論、占いの話などをつらつらと紹介していこうと思います!
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本日の担当は...
神様と豪族の話で神話迷子中の
『えむまる。』です
今日も前回の【勾玉巡り】の続きです
↓前回のブログはこちらから↓
勾玉巡り
3社目の神社はこちら!!
【前川神社】
〒333-0842 埼玉県川口市前川3丁目49番1号
【バス】
・川口駅東口行 「前川」 下車 徒歩5分
・上根橋循環 「天神前」 下車 徒歩2分
参拝者専用駐車場 13台
御祭神
勢貴大明神(せきだいみょうじん)
多岐都比売命(たきつひめのみこと)
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
狭依毘売命(さよりびめのみこと)
せきだいみょうじん・・・???
聞きなれない名前だけど
3女神の名前には聞き覚えが・・・。
そして前川神社のHPには
【塞神 前川神社】と書いてある。
魔除けなどを意味する塞神(さえのかみ)なのかな??
ちょっと調べてみました
公式HPによると
永正9年(1512年)の落雷により火災で文献などは燃えてしまったそうなのですが・・・
他のお寺などに残ってた書物などから
御祭神が
多気比売命(たけひめのみこと)
であることが分かったそうです。
そこから長い歴史の中で言葉が色々と変化していき
多気津姫命たぎつひめ
となって
「女神」、「水徳の神」という共通項から現在の御祭神に変遷していったことが
推察されているそうです。
はっきりと明記はされていないのですが、
多気津姫命、水徳、
名前は違えど女神3柱となると・・・
宗像三女ですよね・・・?
別名なんて神様の中じゃ日常茶飯事だし・・・。
が、しかし・・・公式HPには正式な表記はありませんでした
でも、これはさすがにそうだよね!w
御神徳は
厄災難・障害を 塞ぎ(防ぎ)止め
心願成就
塞ぎとめ・・・
ちょっと変わった御神徳だね
境内の絵馬にも『塞』の文字が
どうやら前川神社は
その昔、古代入間川(現荒川)の自然堤防上に
水難守護の為に作られたみたいです。
低地にあった地域なので、河川の氾濫や洪水より守ってくれますように!ってことかな
そして面白いのは
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文蔵村 (現さいたま市南区文蔵)の
氏神社が
洪水の度に流されては
前川の堰(せき)に漂着した。
二度は文蔵村に返したが
三度目はよほど前川に留まりたいのであろうと拝察し
勢貴社(現前川神社)内に奉斎した。
最初は別殿だったけど、後に合祀された。
----------------------------------
という伝承が残されているそうです
洪水が起きるたびに流されて、返しても返しても流れて来ちゃうから
よっぽどここに居たいんだね!ってことでお祀りしたってことかな
流されて前川で止まった時のお社が
神様自ら堰の一部となって洪水を塞ぎ止めようとするお姿に見え
「塞」の信仰を更に篤くしたんだとか
そのため前川神社の塞神(さいじん)は、一般的な魔除けなどを意味する塞神(さえのかみ)とは全く別のものなんだそうです
今回のように
川や海から流れて来た神仏など祀る
いわゆる【漂着神信仰】って面白いですよね
えびす信仰とも言うそうで、そのまた昔はくじらなどもその対象だったとか。
海から流れ着いたものには、まず話しかける、そして寸法をはかるという
古くからのしきたりがある地域も各地にあるそうです。
えびす様といえば、少名彦名神だったり蛭子だったり・・・その他諸説はありますが
確かにみんな海からやって来るもんね
はっ・・・
また話が脱線しちゃったよ!!!
漂着神信仰については面白い話が沢山あるのでまたいつか・・・。
前川神社の紹介に戻りましょう!w
前川神社の見どころはなんですか?と神職さんにお尋ねしたところ
『珍しい狛犬がいますよ』と教えて頂きました。
それがこちら
アップで
めっちゃ愛くるしい
確かに普段見る狛犬さんとは少し雰囲気が違って・・・
ほんわかしてて、見てるだけで癒される
祖霊社に鎮座している狛犬さん、必見です
神職さんの対応もとても優しく
『ここに祀られている女神様は、女性のお悩みを優しく聞いてくれるから
一人でお参りにくる女性が多いのよ』と教えてくれました。
その後お礼参りに来て、またお悩みがあるとお参りに来るので
とにかくリピーターの参拝者が多いとも
そんなお話を伺っている時にも、お悩みの女性の方が
神職さんに相談にきていました
女神様が話を聞いてくれるから、
そっと住所と名前を言って相談してごらん。とアドバイスするんだそうです
近所にそんな場所があるなんていいなぁ
今も昔も水害などから地域を守り、
更には悩みを優しく聞いてくれる女神さまのいる前川神社
(きっと男性の悩みだって優しく聞いてくれると思いますよ!w)
ずーっと地元の方の支えになっているんですね
優しい空気が漂う神社でした
歴史もとても古いそうで、中には
勝海舟より奉納された直筆の大幟もあるんだとか。
今は礼祭の日に複製のものが掲げられてるそうです
当時の社名である
【勢貴大神宮】と書かれています。
-こちらの写真はHPより-
最後に勾玉巡りの印を頂いて、参拝を終えました
お守りも買ってしまいました
春夏秋冬の4種デザインで、とてもかわいい
やっと3社の紹介が終わりました・・・。
このペースで残り6社は大変だ!
読む方も疲れちゃうね
少しペースアップしていくので
次回もお付き合いくださいませ
読んでくれてありがとうございました
それでは
まったねー( *´•ω•`*)/♡*。
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◆【安房國一之宮 安房神社】④『忌部氏その①』
こんにちわ!こんばんわ!
やどりぎ神社。です
当ブログは神社や御朱印の紹介。
神様にまつわる話や古代の話、都市伝説、
陰謀論、神社の地域、占いなどの話を
つらつらと紹介していこうと思います!
本日の担当は
写真でごまかせないかな?と思ってしまう
【だっち。】です。
今回もダラダラ長いです(苦笑)
に続く第4弾となります。
そろそろ飽きてきてると思いますので
なるべく簡潔に行きたいと思っているのですが…
まず『忌部』(いんべ)とはなにか
ざっくり言うと『~部』というのは
ヤマト王権の部民制という制度によって
分けられた
①職業集団であったり
②豪族に属する集団
であると現在では推測されているみたいです。
なんだろ
渡部→食べ歩く人、多目的ト○レをよく使用する人
軽部→蝶ネクタイを愛用し芸能レポートする人
……。
渡部→川を渡す仕事をしていた人々。
軽部→×存在しませんでした。
そんな中の1つと思われるのが
『忌部』となります。
(諱部と書くこともあるとか)
祭祀に関わっていたことは
間違いないことだ思います。
が、しかし…
↑ ↑
ここは仲良し こっちは対立
なんて話から中臣氏に祭祀の中枢を
奪われていってしまいます。
何度か復帰を試みるも…
残念ながら失敗。
しかしスーパークリエイター集団である
忌部氏は各地で産業の祖として
息づいていた模様。
ここで◆【安房國一之宮 安房神社】①の
忌部五部神
櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)
出雲忌部氏の祖 装飾・美術の神。
天日鷲命(あめのひわしのみこと)
阿波忌部氏の祖 紡績業・製紙業の神。
彦狭知命(ひこさしりのみこと)
紀伊忌部氏の祖 林業・建築業・武器製造業の神。
手置帆負命(たおきほおいのみこと)
讃岐忌部氏の祖 林業・建築業・武器製造業の神。
天目一箇命(あめのまひとつのみこと)
筑紫、伊勢忌部氏の祖 金属鉱業の神。
に触れていくことができます!
薄ピンクのマーカーの部分は①では触れずに
居たのですが今回は記載しました。
各地の忌部氏の特徴を表すものだと
推察されます。
要するにそれを得意分野にしている
クリエイター集団がその地に居たのではないか
ということですねぇ。
もともとは『天太玉命神社』が
この辺りを本拠地にしていたと
考えられています。
大体地名だったり神社だったりで
推察できるのは面白いですよねぇ。
今はネットにも情報がいっぱいありますし。
個々に簡単に触れていきましょう♪
八尺瓊勾玉を作ったとされる神様。
天孫降臨の際の五伴諸神である
【玉祖命】とされる。
装飾→勾玉→玉造部
『玉作湯神社』が
元々は玉造村にあります。
【天日鷲命】(アメノヒワシノミコト)
この5人(柱だと分かりづらいので)の中で
最も今回の安房神社に関係ある神様です。
岩戸隠れの際に弦楽器を奏でて
鷲がとまったので「鷲」の文字が入った。
んじゃもとは天日命だったの?
って思って調べても何も出てこず…
でしょうね。
んで忙しいのですが岩戸隠れの時に
穀、木綿などを植えて白和幣(しろにきて)
を作ったとされる。
和幣→布なので白い布です。
(隠れてから植えてなんとか
なるもんなんでしょうかねぇ…)
このような事から「麻植の神」とも。
麻植という地名が徳島県に今もありますし
姓として麻植さんも居ます。
徳島=阿波なのはご存じの通り。
一之宮は『大麻比古神社』(おおあさひこ:鳴門市)
更に『忌部神社』もこちらは
現在は徳島市にあります。
吉野川市なら忌部山にあるんですけどね。
論社は大変ですねぇ。
まぁそれで大きく格も扱いも
変わってくるから仕方ないですかね。
他にも酉の市のお酉様とも?
あ、考えたくないので掘らないですけど
【少彦名命】と同一神説があります。
個人的にはあまり腑に落ちませんけど…
※安房神社拝殿
…………。
長い…
何も簡単にできてなーい!
あと3人居るのに…
次回で終わりたいので
先日浅草まで行ったんだから
分かりやすく簡潔に書けるように
『小野照崎神社』行けばよかったな。
更に『鷲神社』も…
行きたいところに体が
ついていかないですけど…
あと1回で終わらせるつもりです。
もう少しだけお付き合いください。
本日もありがとうございました。
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●【勾玉巡り】と【分霊】埼玉県・川口九社詣の旅②
こんにちわ!こんばんわ!
やどりぎ神社。です⛩
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神様にまつわる話や古代の話、神社の地域や都市伝説、陰謀論、占いの話などをつらつらと紹介していこうと思います!
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本日の担当は...
昨日も今日も明日も寺社巡り
歩きすぎてばっちり筋肉痛の
『えむまる。』です
よろしくおねがいしまーす
今日は前回の【勾玉巡り】の続きです
前回のブログはこちらから♪
それではさっそく巡った神社のご紹介
一番最初の神社はこちら!
【鎮守 氷川神社】
〒332-0031 埼玉県川口市青木5-18-48
最寄り駅
JR京浜東北線 【西川口駅】より徒歩25分
地下鉄【南鳩ヶ谷駅】より徒歩20分
駐車場:32台完備
御祭神
素盞鳴命 すさのおのみこと
櫛稲田姫命 くしなだひめのみこと
素盞嗚命といえば・・・
天照大神の弟で
最初は泣き虫だったり、暴れんぼうだったけど、
後にヤマタノオロチを退治した
お話が有名でしょうか
一緒に祀られている櫛稲田姫命は奥様ですね
夫婦で祀られていることが多いです
素盞嗚命に関しては沢山のお話があるので
もっともっとしたいのですが・・・
これ以上書くと神社の紹介が出来ずに終わるので今回はこの辺りにしておきますw
あ、でもこれだけ・・・。
素戔嗚命って、
ものすごく沢山の神社で祀られていて
主に氷川神社や八坂神社、熊野系の社など
全国各地の神社で目にする機会が多いメジャーな神様ですよね
今回の勾玉巡りでは、地域信仰の影響もあり
氷川神社がとても多いんです。
そのため、素戔嗚尊が祀られていることが多々あります。
(地域信仰については、また別の機会に長々と説明したいと思いますw)
神社や神話が大好きな方は既にご存じかとは思いますが・・・
同じ名前の神様が
色々な場所で祀られてるけど
どーなってんの?
って疑問に思ったことないですか???
神様は万能だから、瞬間的に色んな場所にワープできるのか?とか
実際その神社には居ないけど、空から統括して聞いてくれてるのか?とか
神社に興味をもった最初の頃
私は、めちゃくちゃ疑問に思っていたんですよね
答えは・・・
神道には「分霊」という概念があります。
神様の魂は無限に分ける事が出来て、
しかも分けても力は全く衰えないと考えられているんですね。
なので総本社という本家的なものがあり、そこから分霊して同じ名前をつけた神社が日本中にたくさん広がっている。というわけなんです。
近所にある小さい神社だとしても、有名な大きな神社だとしても
祀られている神様の力に差はないし、
無理して遠くに行かなくても
身近な神様の所でお参りして大丈夫だよ
ってことになりますね。
もちろん、その土地自体にある力なども違うので全く同じとは言えないのですが・・・。
これから、出てくる神社の御祭神が同じ。ということが多々ありますが、
全て分霊された神様なんだねーと思って見てもらえると分かりやすいかなと思います
補足が長くてすみません。。。
鎮守 氷川神社のご紹介に戻ります
御神徳は厄祓い・厄除け、そして夫婦神である櫛稲田姫命もお祀りしていることから
夫婦和合、安産、そして子育てまで
なんでもこちらの素戔嗚命のように剣を上向きにもっている絵が描かれているのはとても珍しいんだとか・・・
歴史も古く、室町時代(700余年前)からの古社とのことでした。
昔から地域の中心であり、村人たちの心のよりどころの場所だったのですね
全国各地より多くの方々のお参りがあり
「小さな大社」といわれているそうです。
その他、境内の中に8つの小社あってどれもとても素晴らしいのですが・・・
長くなりすぎてしまうので全部書けないよ
浅間神社や稲荷神社、三峰神社などなど、聞きなじみのある神社から不動明王や弁天社など神仏習合のなごりを感じるものまでありました
そしてこちら
樹齢400年以上のとても大きな
その名も元気の木
お力を頂くお作法がこちら
抱きついていいんだ!!!
神社によっては、木が痛む原因になるのでなるべく触らないでね!って所なども見かけますが、こちらの大木は抱擁OKだそうです
そして最後に境内の中にある富士塚のご紹介
このはなさくやひめ推しのえむまる。としては、
ここを紹介せずに終われません!w
こちらの富士塚、ちゃんと登れるんです
死ぬまでに一度は登りたい富士山ですが、まずはここで練習ですねw
実はこの神社には、勾玉巡りの前から何度か参拝にきたことがあるのですが、
お掃除も行き届いていて、隅々まで綺麗な境内
とても心地よい場所です。
勾玉巡りでも、そうでなくても
ぜひお参りしてみてくださいね
記念すべき一つ目の印を頂いたのがこちら!
よし!次に向かいましょー!!!
【鳩ケ谷総鎮守 氷川神社】
「鳩ヶ谷本町1丁目」バス停より徒歩1分
駐車場有
御祭神
素盞鳴命 すさのおのみこと
こちらの御祭神も素盞嗚命ですね
御神徳は、厄除・災難除・夫婦円満・縁結び・疫病除だそうです
こちらのお賽銭入れの彫刻がとても素晴らしかったです!
昔は全く興味なかったのですが
神社を巡るようになってから、至る所の彫刻にも興味津々です
そしてこちらの御神木はなんと・・・
根元がぴったり寄り添った夫婦楠です
縁結びにご利益がありそうですね
そしてこちら、御朱印の写真撮影スポットが用意されていましたよー
まったねー( *´•ω•`*)/♡*。
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★【将門魔法陣】北斗七星巡りその②
こんにちわ!こんばんわ!
当ブログは神社や御朱印の紹介。
神様にまつわる話や古代の話、神社の地域や都市伝説、陰謀論、占いの話などをつらつらと紹介していこうと思います!
どーもどーも、神社を歩きすぎて足が痛い【てんてん】です。
ちなみに本日も神社巡りでございます
今回は【将門魔法陣】の続きだよ
しつけぇなーと思った方も、もー少しお付き合い下さいな
4社目は【神田明神】なんだけど
ちょっと前に紹介したから、今回はさらっと将門さんに触れてくよ
730年に現在の【将門塚】付近に創建。
その後、将門塚周辺で天変地異が相次ぎ、将門さんの御神威として人々を恐れさせ
神田明神に奉祀されたの
そんなことから、徳川家康が将門さんの力を借りるべく
【将門魔法陣】の北斗七星を築いた…なんて言われてるね
朝廷への逆賊を祀るとは何事か!ってことで
一時、摂社に遷座されて御祭神からはずされちゃったんだよね
だけど、根強い人気や時代背景もあったと思うんだけど
昭和59年に見事、再び本殿に奉祀されたんだって
さてさて、5社目は築土神社
こちらの神社は、940年創建。
関東平定後、将門さんの首を密かに持ち去り、現在の千代田区大手町周辺の
観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まり
ここは最初っから将門さんを祀る神社だったんだね
主祭神
天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
相殿
平将門公(たいらのまさかどこう)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
でもやっぱり、明治に入ると天皇復権で将門さんを祀るのが厳しくなったんだね
便宜上、主祭神から外して、天皇系統と関わりの深い天津彦火邇々杵尊を新たに勧請して、表向きは将門さんとの関係を希釈化したんだって
こちらには菅原道真も祀られてるんだけど
実はこの2人、生まれ変わりなんじゃないかって言われてるんだよ
縁が多く見られ、道真さんが亡くなった年に将門さんが生まれてることからそう言われてるよ。
ちなみに道真さんの息子と将門さんのおじさんが茨城県に菅原天満宮を奏ししてるよ。
築土神社は日本三大怨霊のうち2人が祀られてる神社ってことだね!
元々あった場所のお隣の神社、筑土八幡神社にも参拝してきたよー
こちらは後程お話するよー
さてさて6社目は水稲荷神社
天慶4年(941年)、鎮守府将軍、俵佐太秀郷朝臣が旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請され、富塚稲荷、将軍稲荷と呼ばれたのが始め。
御祭神
倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田産大神(さだひこのおおかみ)
大宮姫大神(おおみやひめのおおかみ)
将門さんとの関りは・・・ないの?
逆に将門さんを討った藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請したことに由来しているよ。
将門さんの死後、藤原秀郷は重病にかかった為、鎧神社やこの地で将門さんの霊を弔ったとも言われてるよ
実は将門さんの【心臓】が埋まってるなんて伝説も・・・。
また一説には、徳川家康がこの神社を北斗七星神社に組み入れたのは、将門さんの怒りを掻き立てることによって力を引き出そうとしたのではないかとも言われてるよ。
北斗七星説にはこの水稲荷神社を外して、鬼王神社を北斗七星ラインに入れてる説もあるのね
鬼王神社はまた後でお話するねー
さてさて、7社目は鎧神社
醍醐天皇の時代(898~929年)に薬師如来像が祀られ円照寺が創建。
当時は神仏習合の時代で、寺の鬼門鎮護のため神社が創建されたと言われてるよ
創建以前から、伝説があって
日本武尊が東国の平定に向かった時に、甲冑六具を蔵めた。
さらに、天慶3年(940年)に将門さんが討たれると、人々がその死を悼み
天暦元年(947年)に将門さんの鎧も埋めたと言われてるよ
御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
平将門公(たいらのまさかどこう)
一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、
将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し
将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、
病気がたちまち治ったと言われてるよ
それを聞いた人々はその御神徳に恐れ畏み
以後、村の鎮守の社として近隣の尊崇を受けてきたとらしい
これらのことから【鎧】の社名が起こったと伝えられてるよ!
いやぁ、将門さんってすんげぇんだなぁー
一応、これにて【北斗七星】は7社なんだけど
番外編とゆーか、他の説もあって
筑土八幡神社、鬼王神社が絡むお話があるのね
次回のブログにてその辺をお話していくよー
ではでは、長々とお付き合いありがとでした
まったねー
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