★【将門魔法陣】北斗七星巡りその②
こんにちわ!こんばんわ!
当ブログは神社や御朱印の紹介。
神様にまつわる話や古代の話、神社の地域や都市伝説、陰謀論、占いの話などをつらつらと紹介していこうと思います!
どーもどーも、神社を歩きすぎて足が痛い【てんてん】です。
ちなみに本日も神社巡りでございます
今回は【将門魔法陣】の続きだよ
しつけぇなーと思った方も、もー少しお付き合い下さいな
4社目は【神田明神】なんだけど
ちょっと前に紹介したから、今回はさらっと将門さんに触れてくよ
730年に現在の【将門塚】付近に創建。
その後、将門塚周辺で天変地異が相次ぎ、将門さんの御神威として人々を恐れさせ
神田明神に奉祀されたの
そんなことから、徳川家康が将門さんの力を借りるべく
【将門魔法陣】の北斗七星を築いた…なんて言われてるね
朝廷への逆賊を祀るとは何事か!ってことで
一時、摂社に遷座されて御祭神からはずされちゃったんだよね
だけど、根強い人気や時代背景もあったと思うんだけど
昭和59年に見事、再び本殿に奉祀されたんだって
さてさて、5社目は築土神社
こちらの神社は、940年創建。
関東平定後、将門さんの首を密かに持ち去り、現在の千代田区大手町周辺の
観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まり
ここは最初っから将門さんを祀る神社だったんだね
主祭神
天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
相殿
平将門公(たいらのまさかどこう)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
でもやっぱり、明治に入ると天皇復権で将門さんを祀るのが厳しくなったんだね
便宜上、主祭神から外して、天皇系統と関わりの深い天津彦火邇々杵尊を新たに勧請して、表向きは将門さんとの関係を希釈化したんだって
こちらには菅原道真も祀られてるんだけど
実はこの2人、生まれ変わりなんじゃないかって言われてるんだよ
縁が多く見られ、道真さんが亡くなった年に将門さんが生まれてることからそう言われてるよ。
ちなみに道真さんの息子と将門さんのおじさんが茨城県に菅原天満宮を奏ししてるよ。
築土神社は日本三大怨霊のうち2人が祀られてる神社ってことだね!
元々あった場所のお隣の神社、筑土八幡神社にも参拝してきたよー
こちらは後程お話するよー
さてさて6社目は水稲荷神社
天慶4年(941年)、鎮守府将軍、俵佐太秀郷朝臣が旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請され、富塚稲荷、将軍稲荷と呼ばれたのが始め。
御祭神
倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田産大神(さだひこのおおかみ)
大宮姫大神(おおみやひめのおおかみ)
将門さんとの関りは・・・ないの?
逆に将門さんを討った藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請したことに由来しているよ。
将門さんの死後、藤原秀郷は重病にかかった為、鎧神社やこの地で将門さんの霊を弔ったとも言われてるよ
実は将門さんの【心臓】が埋まってるなんて伝説も・・・。
また一説には、徳川家康がこの神社を北斗七星神社に組み入れたのは、将門さんの怒りを掻き立てることによって力を引き出そうとしたのではないかとも言われてるよ。
北斗七星説にはこの水稲荷神社を外して、鬼王神社を北斗七星ラインに入れてる説もあるのね
鬼王神社はまた後でお話するねー
さてさて、7社目は鎧神社
醍醐天皇の時代(898~929年)に薬師如来像が祀られ円照寺が創建。
当時は神仏習合の時代で、寺の鬼門鎮護のため神社が創建されたと言われてるよ
創建以前から、伝説があって
日本武尊が東国の平定に向かった時に、甲冑六具を蔵めた。
さらに、天慶3年(940年)に将門さんが討たれると、人々がその死を悼み
天暦元年(947年)に将門さんの鎧も埋めたと言われてるよ
御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
平将門公(たいらのまさかどこう)
一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、
将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し
将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、
病気がたちまち治ったと言われてるよ
それを聞いた人々はその御神徳に恐れ畏み
以後、村の鎮守の社として近隣の尊崇を受けてきたとらしい
これらのことから【鎧】の社名が起こったと伝えられてるよ!
いやぁ、将門さんってすんげぇんだなぁー
一応、これにて【北斗七星】は7社なんだけど
番外編とゆーか、他の説もあって
筑土八幡神社、鬼王神社が絡むお話があるのね
次回のブログにてその辺をお話していくよー
ではでは、長々とお付き合いありがとでした
まったねー
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